RUSSIAN POLITICS / UENO'S SEMINAR
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このブログの管理人(上野俊彦)の見解は管理人個人のものであり、管理人の所属する上智大学を代表するものではありません。
広告は管理人および管理人の所属する上智大学とは無関係です。掲載されている写真はとくに断りがない限り管理人が撮影したものです。

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ザカルパーチエの森林浴
振り出しのキエフに帰る5月5日(土)、時間を見つけて、再び田舎に行きました。今度は、ミヤニーツィア村よりもさらに5キロほど北にあるペーレチンという村です。この村には鉄道が延びていて、村自体は、ミヤニーツィアよりも人口が多く、村の中心は、その鉄道駅となっていて、多少にぎやかになっています。ここはもうその駅のすぐ近くまで山というか丘が迫っていて、駅の近くにある教会の裏から、丘の上に通じる道が延びています。丘は非常になだらかで、畑のようになっているところもあります。そんななだらかで見晴らしのよい丘を1時間ほども歩くと、ザカルパーチエの森にたどり着きます。森は、リヴィウにもまして、木々が穏やかで、木漏れ日が明るい森です。

これらの森は、燃料や建築材料としての木材を供給するために共同で管理されてきたようです。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます

この写真のようななだらかな丘は、クリミアなどでは、ブドウ畑になっているのですが、このあたりでは、めったにブドウ畑を見かけません。ザカルパーチエもブドウの生産に適している地域のはずですし、かつて、ワインがかなり生産されていたように思いますので不思議です。もちろん、お隣のハンガリーは、大変なワイン生産国ですので、気候が変わってしまったわけではないでしょう。不思議に思い、農家の方にもいろいろ聞いてみましたが、結局、市場経済の下で、ザカルパーチエのワインというブランドが確立していないために、ワイン市場で地位を確保できず、不振だということのようです。とにかく、ウージュホロドの食料品店などでも、めったに地元のワインを見かけません。
| in Zacarpathia | 19:18 | comments(0) | - |
ザカルパーチエの山ふところで
1ヵ月の旅の最後も、田舎です。5月3日(木)の午前中、ウージュホロドから北に向かうバスに乗って、30分くらい行ったところにあるミヤニーツィアという村に行きました。距離にして、ウージュホロドから15キロくらいのところです。終点は村の中心というのか、中心もないような村ですので、とにかく終点で降りて、その道をさらにどんどん歩いていくと、山がだんだん迫ってきます。バスは北に向かって走り、途中、街道から外れて西方向に曲がって、少し山間に入ったところが終点ですので、この道をどんどん行くと、それほど険しい山ではありませんが、山はどんどん深くなり、尾根を越えると、そこはスロヴァキアになります。山奥に向かう舗装もされていない林道のような道を離れて、なだらかな山を登って行きます。カルパチアの山地はなだらかで、人里から近いところは、チェリーを取るためのヴィーシニャ(桜)などが植えられていて、ハイキングのようにして山の上まで登ることができます。

山村の農家は、さすがにリヴィウ郊外の農家に比べるとずっと粗末なつくりですが、それでも、庭は綺麗に整えられていますし、何よりも、ザカルパーチエがよいのは、冬の気候が穏やかなことで、冬もそれほど寒くないそうです。村の人は素朴で、珍しい遠来の客をそれほど警戒するわけではありません。ただし、西ウクライナもここまで来ると、さすがに相手の言葉があまり理解できなくなってきます。ロシア語の教育を受けた人がいれば問題はないのですが、彼らが日常話しているウクライナ語は、かなりロシア語とは違います。

ヴィーシニャの果樹園です。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます

なだらかな山が続きます。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます
| in Zacarpathia | 19:05 | comments(0) | - |
『人民日報』記者一行との出会い
旅行の最後に、珍しい人たちと知り合いになりました。ウージュホロド城の博物館を見学中に、珍しく中国人旅行者と出会い、知り合いになったのです。

さすがにキエフでは中国人観光客の団体を見かけましたが、そのほかの場所で中国人観光客は見かけませんでした。もちろんオデッサとリヴィウで入った中華料理店には、お客やコックさんとして中国人がいましたが、それも中国人を見た数少ない機会で、ほかの場所では、中国人はめったに見かけません。シンフェローポリのスーパーマーケットで学生風の中国人の男女2人連れを見たくらいです。バフチサラーイからシンフェローポリへ帰る電車の中で中国人とも見える家族連れを見かけたのですが、話している言葉はウクライナ語でした。

ヨーロッパでは、中国人観光客は珍しくないはずですが、まさかウージュホロドなどという有名観光地でもない辺鄙なところで、中国人旅行者に出会ったのです。彼らは男性2人連れで、彼らも、私のほうを見て、珍しいな、こんなところで、と思っているふうでした。とりあえず、英語で話しかけたら、中国人だとわかりました。どちらからともなく、気がついたらロシア語で話していて、彼らは、なんと中国共産党機関紙『人民日報』のキエフ支局の記者とその助手でした。面白いのは、30歳くらいの若いほうが記者で、ちゃんと名刺を持っていて、50歳くらいの年配のほうは名刺もなく、自分は助手だと言ったことです。

博物館で、ニェヴィーツィケ城跡というのが郊外にあり、とても眺めがよいという話を、職員の人から聞いたので、この二人を誘ったら、一緒に行こうということになりました。私は、博物館の職員の人に、何番のマルシュルートカ(ミニバス)で行くのか聞いていたら、若いほうが、「必要ない。われわれは車を持っている」と言うのです。さすがは『人民日報』、タクシーを借り切っているのかと思ったら、驚いたことに、キエフから自分たちで車を運転してきたということでした。「とても疲れた」と笑って言っていましたが、確かにそうだろうと思います。彼らの車、フォルクス・ワーゲンに乗って、私たちは、隣町のニェヴィーツィケに向かいました。そこは、完全に城跡でしたが、ムカーチェヴェ城よりも、ウージュホロド城よりも、はるかに高い山上にあり、確かに眺めはすばらしいものがありました。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます

かなり高い丘の上にあるのが城下のニェヴィーツィケ村を写したこの写真でわかります。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます
| in Zacarpathia | 18:26 | comments(0) | - |
ウージュホロド
ウージュホロドは、州都と言っても、それほど大都会ではありません。例えば、今回の旅行で訪ねた町、キエフ、ヤルタ、セヴァストーポリ、シンフェローポリ、イェフパトーリア、オデッサ、リヴィウには、すべて市電がありましたが、ウージュホロドには市電はありません。首都のキエフや、州都であり大都会でもあるオデッサとリヴィウはともかく、ヤルタ、セヴァストーポリ、イェフパトーリアは、いずれも州都ではありませんが市電がありました。保養地だったり、軍港だったりするわけで、それなりのインフラが必要なのかもしれません。ウージュホロドは、イェフパトーリアと同じくらいの大きさの町だと思いますが、市電がないのが少し残念です。

ウージュホロドの歴史は、9世紀末から10世紀初めにかけて、この地にキエフ・ルーシの支配の下に城砦が築かれていたときまで遡ることができます。しかし、11世紀中葉からはハンガリーの支配下に入ります。その後は、5月29日の「リヴィウからウージュホロドへ向かう寝台列車で」のところですでに書いたように、ウージュホロドやムカーチェヴェを含むザカルパーチエは、第1次世界大戦後、チェコ・スロヴァキア領となり、さらに第2次世界大戦後、ソ連ウクライナ共和国に併合されました。ですから、ウージュホロドの街の中心部にある教会はカトリック教会で、正教会は比較的新しい建物です。

街の中心部にある聖ゲオルギー・カトリック教会(右側)写真をクリックすると大きな写真を見ることができます

ハリストス顕現主教座正教会写真をクリックすると大きな写真を見ることができます

ウージュホロド城は、お城そのものの大きさはムカーチェヴェ城よりも少し大きいようですが、周囲よりも多少高いところにあるものの、ムカーチェヴェ城のように孤立した小高い丘の上にあるわけではありません。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます

ウージュホロド城の博物館は、州都の博物館らしく、それなりに展示が豊富で、ザカルパーチエの歴史や文化だけでなく、自然や産業など、幅広い分野にわたって資料の展示や説明がなされています。とくに興味深かったのは、楽器製造の歴史があることで、弦楽器はともかく、チロルやボヘミアにあるのと同様の、木製の大きなホルンが伝統的な楽器として作られていることです。実物を見たのは初めてだったのですが、この大きなホルンを両手で持ち上げて吹いている写真があって驚きました。もちろん、普通は、下に置いて吹くようですが。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます

ウージュホロドの名前の由来は、ウージュ川にあるそうですが、小高い場所に城があって、その近くを川が流れ、その川を中心にして町が開けているのは、多くの伝統的な都市と同様です。近くはムカーチェヴェもそうでしたが、規模はだいぶ違うものの、モスクワも、ブダペストも、プラハも同様です。ウージュホロドの街の中心に架かる橋は、プラハのカレル橋と同様、歩行者専用橋ですが、橋自体は、カレル橋とは異なって、そっけないものです。それでも、川べりの風景は美しいと思いました。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます

上の写真の橋の上から、ウジュ川の川下方向を写した写真です。川べりのうっそうと茂る並木が特徴です。この川沿いの道には、ベンチが並べられていて、市民の憩いの場になっています。売店で買ったアイスクリームを食べたり、ビールを飲んだりしながら談笑する市民がたくさんいました。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます
| in Zacarpathia | 16:17 | comments(0) | - |
ムカーチェヴェ城
ムカーチェヴェ城はぜひ見るべきだと列車で相席したムカーチェヴェ出身の若いビジネスマンに力説されて、ひなびたムカーチェヴェの街はずれにある小高い丘の上の城に登りました。ムカーチェヴェの町は9世紀から10世紀にかけてその基礎が建設されたようで、1086年にポロヴェツ人の襲撃で城砦が破壊されたと記録に残されていることから、そのときまでには、すでにこの場所に城砦が築かれていたわけです。1241-2年にモンゴル軍の来襲があり、その後、城砦と町が再建されたということです。その後、ムカーチェヴェを含むザカルパーチエ地方の支配者は、短期間は、オスマン帝国だったり、ポーランドだったり、トランシルベニア(現在のルーマニアを中心とする地域にあった王国)だったりしますが、いちばん長くこの地域を支配していたのはハンガリーだったようです。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます写真をクリックすると大きな写真を見ることができます私がリヴィウからムカーチェヴェに到着したこの日は、5月1日で火曜日でしたが、メーデーで休みということなのでしょう、多くの人が訪れていました。話している言葉から判断するに外国人観光客ではなさそうでした。お城のほうは、あちこち修復工事中だったこともありますが、館内の博物館も小さく、展示も簡単で、正直言って、少し期待はずれでした。民族衣装の展示は綺麗でしたが。

それでも、お城から市街とムカーチェヴェ周辺の平野が一望でき、初めてザカルパーチエに来た私にとって、ザカルパーチエがどんなところなのか、どんな地形なのかが、把握できて、その点はよかったと思います。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます

ムカーチェヴェ城に来るときに乗ってきたマルシュルートカ(ミニバス)を降りた場所で待っていたら、帰りのマルシュルートカが、まもなくやってきました。このマルシュルートカで市のセンターまでは来ましたが、駅まで行くには何番のマルシュルートカに乗ればよいのかわかりません。センターでしばらく待っていましたが、鉄道駅行きの表示のあるマルシュルートカがなかなか来ません。待つ場所が違うのか少し不安になりかけ、誰かに聞こうかと思い始めたところ、ようやく鉄道駅の表示のあるバスが来ました。マルシュルートカではなく、少し大きめのバスでした。バスはかなり老朽化しています。運転手さんに確認すると、鉄道の駅には行くということなので乗りました。発車すると、午前中にベンツで送ってもらったときに通った道とはまったく違う道を走っていくので、おかしいなと思っているうちに、陸橋で鉄道を越えてしまいました。鉄道駅とはまったく違う方向に走っていきます。遠回りしても、最終的に駅に着いてくれればいいのですが、老朽化したバスは、故障でついに止まってしまいました。乗ったときから、何か調子が悪そうで、運転手さんが停留所に停まるたびに、運転席の窓から首を出して、下のほうを覗き込んでいましたが、どうやら足回りの故障のようです。運転手さんが、「同じ道を通るバスがあるので、そっちに乗り換えて下さい」と言うので、私たちお客は、しぶしぶバスを乗り換えました。乗り換えたバスは、番号が違うのでオヤッと思っていると、今度は踏み切りを渡って、結局、もとのセンターに戻ってしまいました。30分以上かかって、結局、振り出しに戻りました。まだ午後3:00頃なので、ウージュホロド行きの電車がなくなることはないだろうと思うものの、やれやれ、という感じです。

また、しばらく待っていると、行き先表示板に鉄道駅と書かれているマルシュルートカがやってきました。先ほど故障したバスとは番号が違います。運転手に確認すると、鉄道駅に行くとの答え。それに乗り込むと、またまた違う道ですが、とにかく鉄道駅には着きました。やれやれ、という感じです。手荷物預かり所に行って、荷物をピックアップして、電車を待ちます。1時間ほど待って、ようやく電車が来ました。

電車は、のんびり走って行きます。地図を見ると、ほとんどハンガリー国境すれすれに走っています。途中、チョプ(Чоп)という奇妙な名前の駅に停まりました。地図によれば、チョプという駅は、ウクライナ、ハンガリー、スロヴァキアの3国の接点の近くにあり、ハンガリーやスロヴァキアに向かう鉄道の分岐点になっています。確かに、この駅の付近は、車庫か操車場のように、たくさんの線路が走っています。一大鉄道拠点だった面影があります。線路の数だけは東京駅並みですが、駅舎も小さく、何もないところにぽつんと駅だけがあるような感じです。

このチョプからは、直線距離でハンガリー国境までは2キロ、スロヴァキア国境までは6キロくらいしかありません。ハンガリーとの国境はチサ川というドナウ川の支流ですが、スロヴァキア国境は地図で見る限り、川も山もありません。

停車しているあいだ、窓の外を見ていたら、少し離れたところに、見慣れない色の電車が停まりました。ウクライナ鉄道のマークは無く、おそらくハンガリーかスロヴァキアの鉄道のようです。そのうち、別の線路を長距離列車が走ってきました。表示がよく見えなかったので、どこへ向かう列車なのかわかりませんが、国際列車だったかも知れません。確か、リヴィウからブダペストへ向かう列車の通り道だったような気がします。

そうこうしているうちに、私の電車もようやく発車しました。学生のような感じの若い男の子たちがぞろぞろ入ってきて、近くのボックスに陣取りましたが、話している言葉がまったくわかりません。おそらくハンガリーから来た子たちだと思われます。旅行という感じでもなく、軽装です。

あとでわかったことですが、この地域の人たちは、ウクライナと、ハンガリー、スロヴァキアとのあいだを気軽に行き来しているようです。ただ、ウージュホロドの人に聞いたら、「向こう、とくにハンガリーは物価が高くて、何も買えない」と言っていました。確かにユーロは高いので、そうだろうと思います。逆に言えば、ユーロ圏からこちらに入ってくると、物価が安いという感じになるはずです。

それにしても、島国育ちの私には、ほとんどさえぎるものもない、見えない国境がそこにあり、とはいえ、それをいとも簡単に越えて外国に行ける、という感覚が実感として理解できません。
| in Zacarpathia | 15:20 | comments(0) | - |
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