RUSSIAN POLITICS / UENO'S SEMINAR
Home Profile Lecture Books BBS Diary Gallery Link Site Map
Diary  コメントは気軽に。

このブログの管理人(上野俊彦)の見解は管理人個人のものであり、管理人の所属する上智大学を代表するものではありません。
広告は管理人および管理人の所属する上智大学とは無関係です。掲載されている写真はとくに断りがない限り管理人が撮影したものです。

CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
ARCHIVES
● 〜 January 22, 2006

CATEGORIES
MOBILE
qrcode
日本からの選挙監視についてチューロフ中央選挙委議長が言及
2008年1月29日付『ロシア新聞』(Российская газета)は、1月28日にチューロフ・ロシア連邦中央選挙委員会議長(写真左、なお、この写真は、『ロシア新聞』に掲載されているもの)がロシア連邦大統領選挙国際監視員招請状に署名を行なったことを報じていますが、その中で、チューロフ議長が昨年12月の国家会議選挙の選挙監視を実施した私たち日本の選挙監視員が提出した報告書を極めて高く評価したことを報じています。以下、記事の内容を少し詳細にご紹介しましょう。

◆「月曜日[2008年1月28日のこと−Ueno]、チューロフ中央選挙委員会議長は、ヨーロッパ、アジア、米国からの国際監視員に対する招請状に署名した。また、日本の監視員の要請を考慮に入れ、ロシアの開票集計手続きをより民主的なものとするつもりとのことだ。」

◆「中央選挙委員会に提出された『日出ずる国』の専門家の報告書では、投票所選挙委員会は必ずしも、その場にいた全ての者に有権者の選択を示すチェックマークが記された投票用紙を見せたわけではないとの訴えがなされた。国家会議選挙および大統領選挙についての連邦法では、投票所に立ち入ることができるのは、政党および候補者の代理人、マスコミの代表、監視員などであると規定されている。また同法では、中央選挙委員会委員は有効票を見せなければならないとされている。中央選挙委員会は、投票所への立ち入りを許可された者(その資格は厳密に定義される)は全て、投票箱から取り出されたそれぞれの投票用紙を監視することができるという規則を追加する方向で連邦法を強化するつもりだ。また、同様の勧告が、中央選挙委員会から各投票所選挙委員会に近く発出される。中央選挙委員会は、これにより、重要な選挙手続きの一つがより透明化されると確信している。」

◆「ちなみに、ボリショイ・チェルカース横丁[ロシア連邦中央選挙委員会のある通りの名前−Ueno]では、CISからの国際監視員に対する大げさなお世辞が振りまかれていたが、チューロフ中央選挙委員会議長の言によれば、国家会議選挙の運営について最もレベルの高い報告書を提出したのは日本の監視員であったという。」

私たちが提出した選挙監視報告書が高く評価されたことは喜ばしいことですが、このことには、このDiaryの2007年11月25日のところで書いたように、欧州安全保障協力機構の民主制度人権事務所(ODIHR)とロシア政府とのあいだで行き違いがあったことを背景に、ある種の意図があるのかもしれません。ODIHRは内政干渉とも取られかねない厳しい非難を浴びせる可能性がありました。私たちの報告書は、そうしたものとは異なるからです。

日本の監視員のうち少なくとも私は(報告書は監視員3名の連名で提出しましたが、他の2名の方は、それぞれご自身の国家公務員としてのお立場があるので、ここでは私の個人の意見を述べます)、自分たちの基準を一方的に押し付けたり、内政干渉ともとられかねない非難を浴びせることではなく、より公正な選挙が実施されるための技術的な提案を行うほうが建設的であると考え、その考えに従って報告書に私の意見を反映させてもらいました。

確かに、ロシアの選挙にも、もちろんいろいろな問題があります。しかし、それを自分たちの基準からただ一方的に非難することは、結局のところ、ロシア国民を自分たちの基準から非難することになってしまいます。それをロシア国民やロシア政府がこころよく思わないのは当然でしょう。確かに批判することは必要であり、私たちの報告書も多くの問題点を指摘し、私たち監視員のアクセスが十分には保障されなかったことを批判しました。しかし、選挙が公正でないと最も強く主張し、批判すべきは、その結果として最大の不利益をこうむるロシア国民自身であり、あるいは野党であるべきです。外国人である私たちは、利害を離れた客観的な立場から、選挙の手続きがロシアの法律に従って(何か絶対的な基準として存在しているかのような「民主主義」という物差しに従ってではなく)実施されているかどうかをチェックし、主として技術的な事柄を中心にして、提言や問題点の指摘を行うことにとどまるべきだというのが私の考えです。

なお、私たちの報告書は3名の連名で提出され、その日本語の写しを私ももちろん持っていますが、これは私だけが書いたものではありませんし、また少なくとも私以外の2名は国家公務員ですし、そもそもこの選挙監視は、ロシア連邦中央選挙委員会が日本の中央選挙管理委員会に対して招請したことにより実施されたものですから、その報告書は、やはり一定の公的性格をもった文書だと思いますので、申し訳ありませんが、ここでは公表できません。別に、公表してまずいようなことはまったく書いてないのですが、私の一存では公表できないことをご理解ください。
| in Russia | 19:02 | comments(0) | - |
「メドヴェージェフ大統領+プーチン政府議長」体制
メドヴェージェフ政府第一副議長が大統領候補者にノミネートされた翌日の12月11日(火)、メドヴェージェフ氏は自分が大統領になったら、プーチン大統領を政府議長(首相)にすると発言しました。

12月17日(月)の「統一ロシア」の党大会で正式にメドヴェージェフ政府副議長が大統領候補に指名されました。またプーチン大統領も、メドヴェージェフ大統領のもとで政府議長に就任することを受け入れました。

大統領が政府議長(首相)に?って不思議に思う人も多いでしょうね。社長さんが部長さんに戻るみたいな話ですね。そこで、ロシア連邦憲法では、大統領と政府議長って、どのように規定されているか見てみましょう。

ロシア連邦憲法第80条の各項は、大統領について以下のように規定しています。

第1項 ロシア連邦大統領は、国家元首である。
第2項 ロシア連邦大統領は、ロシア連邦憲法、ならびに人および市民の権利および自由の保証人である。大統領は、ロシア連邦憲法の定める手続きに従って、ロシア連邦の主権、その独立性および国家的一体性を擁護する措置をとり、国家権力諸機関が調和的に活動し、相互に協力するよう保証する。
第3項 ロシア連邦大統領は、ロシア連邦憲法および連邦法に従って、国家の内政および外交政策の基本方針を決定する。
第4項 ロシア連邦大統領は、国家元首として、国内および国際関係においてロシア連邦を代表する。

つまり、大統領は、国家元首としてロシアを代表し、内政外政の基本方針を決定する、一番えらい人ということです。また「国家権力諸機関が調和的に活動し、相互に協力するよう保証する」というのは、立法、行政、司法の三権の調停役という意味だと考えられています。

ところが、第83条では、以下のように規定されています。

ロシア連邦大統領は、а)国家会議の同意を得て、ロシア連邦政府議長を任命する。
б)ロシア連邦政府の会議を主催する権利を持つ。в)ロシア連邦政府の総辞職の問題についての決定を採択する。(中略)е)ロシア連邦政府議長の提案に基づいて、ロシア連邦政府副議長および大臣を任命し、それらを解任する。

つまり、大統領は、政府議長を任命し、政府の会議を主催することができるのですから、行政権のトップに位置づけられているようでもあります。こうしてみると、第80条と第83条の規定は、若干、整合性が取れていない感じもしますね。それはともかく、大統領は、行政のトップにいるというのです。

こういうふうに見ていくと、じゃあ、「メドヴェージェフ大統領+プーチン政府議長」体制では、メドヴェージェフさんのほうが偉いわけ?

確かに憲法上はそういうことになりますが、実際の政治の世界は、憲法によって規制もされますが、また憲法の条文には現れない実際的な権力や権威が渦巻く世界でもあります。実際はどうなるのかを考えて見ましょう。

まずは、憲法の規定から、以下のようなことが言えますね。

◆メドヴェージェフ大統領が国家元首でありロシア連邦を代表することはロシア連邦憲法第82条の規定から明らか。
◆メドヴェージェフ大統領が政府議長を提案する場合、第83条а)の規定から、国家会議の同意が必要であるため、国家会議の過半数を占める「統一ロシア」の提案に従う必要がある。
◆メドヴェージェフがすでにプーチンを政府議長として提案する意向を表明したことは、プーチンが「統一ロシア」の名簿第1位に記載されていたことからも当然である。
◆メドヴェージェフ大統領がロシア連邦政府副議長および大臣を任命する場合、第83条е)の規定から、プーチンの提案に従って政府副議長および大臣を任命することになる。政府人事の実権は政府議長であるプーチンが握ることになるのは、憲法の規定と矛盾しない。

と、まあ、こういうわけです。

「統一ロシア」は国家会議(下院)の3分の2以上を占める大与党です。若いメドヴェージェフ氏が、この「統一ロシア」によって大統領候補に指名され、「統一ロシア」の力で大統領に当選できたとなれば、「統一ロシア」に支えられた大統領であり、「統一ロシア」の意向を無視することはできません。大統領は独裁者ではありません。国家会議(下院)は、大統領の提案した政府議長(首相)候補者を否決して、自分たちが政府議長候補者を提案することができます。エリツィン政権下のプリマコフ政府議長は、当時の国家会議の第一党だったロシア連邦共産党と、もうひとつの野党である「ヤーブラコ」の提案に従って大統領が任命しました。だから2人の副首相が共産党から、蔵相が「ヤーブラコ」から出ていたのです。

それだけではありません。国家会議は、大統領弾劾の発議や政府不信任の採択ができます。現在の憲法下で大統領弾劾が成立するのは、大統領が大きな犯罪を犯すなどのよほどのことがない限り難しいと思いますが、政府不信任は、過去に採択されたことがあります。エリツィン政権のときですが、そのときエリツィン大統領は国家会議で批判された閣僚を3名更迭しています。

ですから、大統領は、国家会議の意向、つまり現在では「統一ロシア」の意向を無視できません。その「統一ロシア」の事実上のリーダーがプーチン氏ということなら、メドヴェージェフ氏は、プーチン氏に頭が上がらないということになります。実際、プーチン氏は、この17年間、ずっとメドヴェージェフ氏の上司だったのですから。

政府議長は、巨大な官僚機構を持つ政府の長です。政府は、巨額の予算を動かしています。だから、政府議長は、実権があるのです。閣僚は、憲法第83条е)の規定により、政府議長が大統領に提案することになっています。メドヴェージェフ氏とプーチン氏の実質的な関係から考えると、プーチン政府議長の提案した閣僚をメドヴェージェフ大統領がそのまま受け入れるということになると思います。ですから、メドヴェージェフ大統領のもとで、プーチン氏の政府、つまりプーチン政権ができるということになるのでしょう。

しかし、それでは、メドヴェージェフ大統領は、単なるお飾りなのでしょうか。プーチン氏の言いなりになるだけなのでしょうか。

最初のうちはそうかもしれません。でも、永遠にプーチン氏が実権を握り続けるわけではないでしょう。若いメドヴェージェフ氏が仕事に慣れてきて、とくに文民出身のメドヴェージェフ氏にとってコントロールの難しい軍や治安機関がメドヴェージェフさん、なかなかやるじゃないという感じになってくれば、「もと上司」のプーチン氏があれこれと口出しして若い大統領を支える必要もなくなるでしょう。

プーチンの「院政」と言われていますが、プーチン氏が自分自身の利益のために権力にしがみつくという感じは、正直言って、私は今のところあまり感じていません。彼が、院政を敷こうとしているのは、やはり若いメドヴェージェフ氏では、すぐに何ごともうまくはいかないだろうと考えていること(あまりにもプーチン続投の意見が多かったですから)、政権中枢のベテランたちをなんとか抑えていかなくてはならないこと、そのためだろうと思います。
| in Russia | 10:12 | comments(0) | - |
メドヴェージェフ政府第1副議長が大統領候補に
ドミートリー・メドヴェージェフ政府第一副議長(左の写真。写真はロシア連邦政府ホームページより)が2008年3月2日のロシア連邦大統領選挙の与党候補になるようですね。

彼は以前から大統領候補として下馬評の上がっていた何人かのうちの一人ですから、ものすごい意外性はありませんが、例えば、なぜズプコフ政府議長やセルゲーイ・イヴァーノフ政府第一副議長ではないのか、と考えると、いろいろわからないこともありますね。

考えられる理由は、以下のようなものでしょうか。

(1)イヴァーノフが、保安庁出身、国防大臣経験者で、どちらかというと政権内のハードライナーと西側からは見られていたのに対して、同じペテルブルク出身者でもシビリアン出身のメドヴェージェフのほうがソフトなイメージがあります。

(2)1953年1月31日生まれで54歳のイヴァーノフはプーチンよりも1歳若いだけで、プーチンが大統領になったときの年齢をすでに越えているだけでなく、彼が大統領になると、実は経歴から見てプーチンと大差がなく(ソ連国家保安委員会時代はイヴァーノフのほうが上だったという話もあります)、大統領を辞めたあともプーチンが政界に影響力を保持しようとする場合は、ちょっとプーチンからするとやりにくい感じがあるのに対して、メドヴェージェフは1965年9月14日生まれの42歳で、プーチンからすると後輩にあたります。実際、プーチンがペテルブルク市庁に勤務していた時代、メドヴェージェフは部下でした。ですから、しばらくプーチンが政界に影響力を保持しようとする場合には、メドヴェージェフのほうが都合がいいでしょう。

(3)推測ですが、イヴァーノフを大統領後継候補とすることに、クレムリン周辺の旧ソ連国家保安委員会・ロシア連邦保安庁出身者のあいだで一本化できなかったのではないかと思います。その点、メドヴェージェフについては、そのような問題はないし、プーチンが影の実力者でいるのなら、軍や治安関係省庁に対しても押さえは効くでしょう。

(4)1941年9月15日生まれのズプコフはもうすでに66歳ですから、年齢的に少し無理がありますね。彼が大統領になったら、本当に誰かへのつなぎになってしまうので、後継者問題を先送りにするだけですから、やはり彼の芽はなかったということなんでしょうね。

ちなみに、メドヴェージェフの経歴は政府のホームページによれば、以下のようなものです。

Медведев Дмитрий Анатольевич
メドヴェージェフ、ドミートリー・アナトーリエヴィチ
ロシア連邦政府第一副議長
1965年9月14日、レニングラート州生まれ。
1987年、レニングラート(現サンクト・ペテルブルク)国立大学法学部卒業、1990年、同大学大学院修了。法学博士候補、助教授資格。
1990 - 1999年、サンクト・ペテルブルク大学教員。
1990 - 1995年、レニングラート市人民代議員ソヴィエト議長(サプチャーク、アナトーリー・アレクサーンドロヴィチ)顧問、サンクト・ペテルブルク市庁対外関係委員会(議長プーチン、ヴラジーミル・ヴラジーミロヴィチ)専門官。
1999年ロシア連邦政府官房副長官(政府議長プーチン)。
1999 - 2000年、ロシア連邦大統領府副長官。
2000年、ロシア連邦大統領府第一副長官。
2000 - 2001年、「ガスプロム」取締役会議議長、2001年、「ガスプロム」取締役会議副議長、2002年6月、「ガスプロム」取締役会議議長(現在に至る)。
2003年10月、ロシア連邦大統領府長官。
2005年11月、ロシア連邦政府第一副議長(現在に至る)。
妻、男子。
(http://www.government.ru/government/rfgovernment/
rfgovernmentvicechairman/8559534.htm
[2007/09/30参照])
| in Russia | 22:23 | comments(0) | - |
選挙結果の続報
12月8日(土)、ロシア連邦中央選挙委員会副議長ヴァヴィロフの記者会見があって、選挙結果について報告がありました。

単なる選挙結果だけでなく、いろいろ興味深い数字が発表されました。

たとえば、連邦構成主体選挙委員会の数86、うち65は新しい委員により構成されています。地域選挙委員会の数2750。投票所選挙委員会の数96193。在外投票所の数141カ国、358投票所。

病院、サナトリウム、保養所、その他の宿泊施設に設けられた投票所の数1448。警戒体制下の投票所147。僻地ないし遠隔地の投票所1919。航行中の船舶に設けられた投票所700以上。極地観測所に設けられた投票所7。ロシア連邦内に居住地を持たない選挙人のための投票所325(在外投票所以外ということだと考えると、ロシア国内に設けられた在外ロシア人のための投票所ということになります)。軍駐屯地内の投票所127。鉄道駅に設けられた投票所39。飛行場に設けられた投票所20。

同時に他の選挙や国民投票を実施した投票所23,500。

投票率は63.78%とのことです。2003年が55.75%なので、8.03%上昇しました。「統一ロシア」圧勝のいわば「無風選挙」だったのにもかかわらず、投票率はかなり高かったと言えますね。ちなみに、ロシアでは、投票率とは、選挙参加者数を選挙人総数で割った数字です。この投票参加者数には、無効投票数やいわゆる「持ち帰り票」数(交付した投票用紙の数と、投票された投票用紙の数の差)も含まれます。

「登録抹消証明書(открепительное удостоверение)による投票」数1,169,149。これは前回の2003年の選挙の約572,000の約2倍にあたりますので、かなり多かったといえると思います。この「登録抹消証明書による投票」というのは、自身の居住地の投票所委員会の選挙人名簿における自身の登録を抹消し、その証明書を持って別の投票所(多くは勤務先または用務先の投票所)で投票用紙を交付してもらって投票することを言います。要するに日本で言う不在者投票に似た制度です。

投票率の地域別ベスト2とワースト2。投票率1位はチェチニア共和国の99.50%、2位はお隣のイングーシェチア共和国の98.35%です。また投票率最低はサンクト・ペテルブルク市の51.56%、下から2番目はサマラ州の52.08%です。プーチン大統領の出身地で、「統一ロシア」議長グルィズロフが地域名簿第1位に載っているペテルブルクが最低というのは、政権としてはかなりショックなのでは? グルィズロフはこれを理由に党議長ポストをはずされるかもしれませんね。

各党の得票率と地域別得票率ベスト2。「統一ロシア」は得票率64.30%、ベスト2はチェチニア共和国99.36%、イングーシェチア共和国98.72%。ロシア連邦共産党は得票率11.57%、ベスト2はタムボフ州19.17%、オリョール州17.58%。ロシア自由民主党は得票率8.14%、ベスト2はマガダン州15.41%、チタ州15.03%。「公正ロシア」は得票率7.74%、ベスト2はアストラハニ州20.17%、サンクト・ペテルブルク市15.13%。

各党の議席と議席占有率は、「統一ロシア」は、315議席で70%。ロシア連邦共産党は、57議席で12.67%。ロシア自由民主党は、40議席で8.89%。「公正ロシア」は、38議席で8.44%。

代表率(議席に反映された投票数を投票参加者数で割った数。つまり100%から死票率を引いた数)は91.75%で、2003年の70.65%を上回りました。死票は8.25%ということです。

在外投票者数は、304,152票。「統一ロシア」が78.06%、ロシア連邦共産党が6.14%、ロシア自由民主党が4.38%、公正ロシアが3.55%で、在外では「統一ロシア」がさらに圧勝です。
| in Russia | 15:49 | comments(0) | - |
紅葉のペテルブルク
9月15日から25日まで、短期間でしたが、今年2度目のロシア旅行に出かけました。直前まで原稿書きの仕事を抱えていて、あわただしく出発しました。東京は残暑のさなかでしたが、目的地のモスクワとペテルブルクは、もうすっかり初冬の気候のはずなので、もちろん東京での冬用のコートやセーターなどを持っていきました。

前半はモスクワ、後半はペテルブルクということで、その間は、行きは寝台列車で、帰りは飛行機で移動しました。

モスクワも紅葉が始まっていましたが、ペテルブルクは紅葉の真っ盛りでした。ロシアの秋は短く、9月は急速に寒くなり、短い秋はあっというまに過ぎて冬になります。

ロシアでは相変わらず、旅先でちょっとしたトラブルが起きます。今回も、旅行会社に頼んでおいた鉄道切符をホテルに届けてもらうのに、何度も電話をして叱咤(もちろん激励はしません)して、ようやく届けてくれる始末。

中国でも同様のことがありましたので、ロシアがとりたててサービスが悪いというわけでもないでしょうが、外国人の個人旅行への対応は相変わらずまだまだです。

今回は田舎には行かなかったので、都会の物価高には閉口しました。地下鉄は14ルーブル(約70円)なので交通費は日本よりも安いと思いますが、駅前のショッピングモールなどに並ぶインテリア雑貨や衣料品などは日本と同じか、日本よりも少し高いと感じるものもけっこうありました。日本ではデパートは高いですが、100円ショップや薄利多売の衣料品スーパーなどがターミナル駅の駅ビルなどであって、安くてよい品も簡単に手に入るので、案外、値ごろ感がありますよね。モスクワなどでも、安い店があるのですが、それは大きな店ではなくて、キオスクなんですよね。品揃えがないので、1箇所で済ますことができず、あちこち回らないといけないのです。郊外の大型スーパーにはなかなか行く機会がないのですが、キエフ駅などのターミナル駅の近くにあるショッピングモールやスーパーマーケットは、品揃えも豊富できれいですが、ちょっと割高です。

でも都心も都心、赤の広場の前の高級ブティックの並ぶグムデパート(ГУМ)の地下に、スタローバヤ(Столовая大衆食堂)があるのを発見しました。グムの中には、高級レストランやカフェ、ファストフード店などがあるのですが、結構値段がはり、私はそういう店で気軽に食事をしようという気にはならないのですが、まさかグムの中にあんな大衆食堂があるなんて気づきませんでした。グムで仕事をしている人や近くで働いている人などでけっこう混んでいましたが、外国人はまったくいませんでした。店のドアのところまで行かないと看板がないので、なかなかわからないと思います。地下トイレに通じる階段を降りてすぐ右側にありましたが、地下トイレは複数あるでしょうから、あの大きなグムのなかでこの食堂を見つけたのは、まったくの偶然でした。モスクワで1食100ルーブル(約500円)以下に抑えようとするなら、こういうスタローバヤを探さなくてはならない時代になりました。

ところで、シェレメチェヴォから市内への移動や、市内での移動の話は、昨年の8月末頃のブログで書いたのですが、モスクワで会った日本からの個人旅行者に聞くと、ロシア語ができる人でも、空港から路線バスを使ったり、市内の移動に地下鉄やバス、とくにバスを使う人は少ないみたいですね。留学してきている学生さんは、もちろん地下鉄やバスを駆使しているのですが、旅行者が使いこなすのは難しいのでしょう。

しかし、東京もだいぶ秋らしくなってきました。暑いのが苦手、寒いのが大好きという私としては、助かります。
| in Russia | 11:22 | comments(0) | - |
実はロシアに行っておりました
実は、6月4日(月)から7月2日(月)までロシアに行っておりました。今朝(7月3日の朝)、帰国したところです。

ロシアは、ウクライナのときと同様、地方の農村に行くというのがコンセプトのひとつなので、かつてエリツィン政権の時期に「赤いドーナツ地帯」と呼ばれていたロシア連邦共産党支持者の多かったモスクワ周辺の州のうち、ヴラジーミル州とヤロスラヴリ州の農村地域(もちろん州都は通過ないし短期間滞在しました)、それから昨年のカリーニングラート州に行ったときと同様のコンセプトで辺境地域(決して未開という意味ではなく、モスクワから見て周辺地域で外国と国境を接しているという意味です)ということで、カレリア共和国に行ってきました。

もっともカレリア共和国は、北方にあって気候の厳しい地域で、あまり農耕には適さない土地柄なので、いわゆる農村という表現に合致するような地域はあまりないと言えます。いわゆる第一次産業では、カレリアは、放牧、漁業、林業が比較的盛んだという土地柄だと思います。ということで、実は、カレリア共和国では、農村地域と言えるようなところにはほとんど行っていません。州都のペトロザヴォーツクとそのごく周辺地域に行っただけです。

モスクワは取材というかいろいろ話を聞く相手がいるので、入出国のときだけでなく、1ヵ月間の出張のほぼ真ん中に4日間ほど、滞在しました。モスクワの大学に留学してきている学科の学生への慰問(?)という趣旨もあります。同様の趣旨でサンクト・ペテルブルクに留学してきている学生の様子も見るために、ペテルブルクにも2日ほど滞在しました。

さて、どんな感じだったのかということは、この次に書くことにして(ただし、ウクライナほど書くことがないというか、自分の専門の地域だけに、書くには大変過ぎるというか、あまり筆が進まない=タイピングがはかどらない=感じがします)、今日はとり急ぎ帰国のご報告まで。
| in Russia | 19:31 | comments(2) | - |
なまイワノフ
今日まで隠していたわけではないのですが、実は、モスクワで衝撃的な出逢いを経験しました。

セルゲイ・イワノフ(Сергей Борисович Иванов)政府副議長兼国防大臣に会ったのです。次期大統領とも目されている人物のひとりの、あのイワノフです。会ったのは、9月1日(金)午前10:00頃です。でも、約束して会ったのではなくて、もちろん偶然です。私が、ロシア国立図書館のコンピュータルームで資料検索をしていたとき、そこに彼が突然入ってきたのです。視察のようでした。図書館の幹部とおぼしき2人の人物が、コンピュータルームの説明をしていたようです。警備の人以外に、テレビカメラのクルーもついてきていて、その様子を撮影していました。私も写ったかもしれません。ほんの4、5メートルほどのところにいたのですが、もちろんそれ以上に近づくことはできませんでしたし、話しかけるチャンスもありませんでした。パソコンルームにいた人たちも、みな一様に驚いていました。

ま、ただそれだけの話です。

国防大臣が、なぜ図書館に・・・
おそらく、軍事・安全保障や軍産複合体ばかりでなく、文教政策にも関心を払っていますよ、という国民に対するアピールなのでしょう。
| in Russia | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
成田到着
シェレメチェヴォからのアエロフロートは、とくに問題もなく、無事、成田に到着しました。成田−シェレメチェヴォ間を飛ぶ飛行機に乗ると、誰かしら知り合いに会うものですが、今回は、行きは、東欧旅行に出かける(最後はロシアらしい)ロシア語学科の男子学生2人に、帰りは、ロシア語学科の女子学生1人、2006年3月にロシア語学科を卒業したばかりの元女子学生の2人づれ、それに某ネイティヴ教授のお嬢さんにも会いました。飛行機は毎日飛んでいるのに、偶然なんでしょうか。世間は狭いものです。

そう言えば、アエロフロートのエコノミー席は、アルコール類が有料になったんですよね。少し残念な気が・・・。
(9月27日記)
| in Russia | 12:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
シェレメチェヴォ第2空港到着
日本からモスクワに飛ぶ場合、シェレメチェヴォ第2空港、ロシア語で Шереме-чево два (下線はアクセント)に到着する場合が多いと思います。「多い」と言うのは、アエロフロートなどの成田からの直行便は現時点ではすべてシェレメチェヴォ第2空港に到着しますが、直行便ではない一部の航空会社は、成田発でも、モスクワにある他の空港に到着する場合があるからです。

今回、アエロフロートの直行便を利用した私は、そのシェレメチェヴォ第2空港に到着しました。私にとって馴染みのロシアへの第一歩の場所です。 岼鼎ぁ廖↓◆屮僖好檗璽函Ε灰鵐肇蹇璽襪里箸海蹐膨垢す堽鵑できて、通過に時間がかかる」、「チェックインした荷物の出てくるのが遅い」、ぁ屮▲セスが悪い」というのが、シェレメチェヴォ第2空港に対するおおかたの評価です。これまで、私は、,砲弔い討蓮¬詭椶慮くロシア人に合わせてあるのではないかと考えていましたが、今回、出国時に2階の出発ロビーが改装されて明るくなっていたのを見て、やはり設計上、照明器具が足らなかったか、節約したか、どちらかだったのかなとも思いました。△蓮直前に大量の客を運んできた別の便があるとか、シーズンによるとか、その時点で働いているパスポートコントロールの職員(国境警備隊員)の数などの不確定要素に左右されるので、私の経験では、いつも混んでいるわけではありません。ちなみに、今回はすいていて、すぐに通過できました。ただし、早く通過したとしても、荷物をチェックインしているのなら、の荷物が出てくる時間が早いか遅いかが、結局、飛行機を降りてから空港を出るまでの時間を決定します。い呂修里箸りで、大国ロシアの表玄関としては恥ずかしいと思います。地下鉄を延長するとか、モノレールを引くとか、とにかくルシコフ市長さんの力で何とかしてほしいですね。

で、荷物は、やはりいつものように、なかなか出てきませんでした。しかも、今回、いつものように、どのレーンに荷物が出てくるのかを知るために、ディスプレイの表示を見ていても表示がいっこうに出てこず、そのうち成田からの到着便の荷物が、とあるレーンに出てきて、そこに成田から到着した人々のうち目ざとい数人が移動し荷物を拾い始めたことで、成田からの便の荷物がどのレーンから出てくるということを知るという、相変わらず、どこか、几帳面さの欠けるロシア的現象がさっそく現出しました。
(9月10日記)
| in Russia | 19:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
出国
英国のテロ未遂事件があったことで、空港の検査が厳しくなり、液体爆弾を警戒して、ペットボトルのドリンクはもちろん、化粧水や、コンタクトレンズの洗浄液も持ち込めないといった噂や報道がありましたが、私は、ダメもとで飲み残しのミネラルウォーターのペットボトルを機内持ち込み用のバッグに入れていたけれど、そのままチェックを通過して搭乗できました。あれは、外国での話だったのでしょうか?

いつだったか、たぶん、去年のことだったと思いますが、私は国内線でペットボトルの内容を調べるらしい機械にペットボトルを載せるよう求められ調べられたことがあったけれど、今回は全くなし。どうなっているのでしょうか、不思議な話です。

とにかく、出国は、簡単でした。

ところで、チェックインするとき、預ける荷物の取っ手に行き先の表示されている(行き先表示はアルファベット3文字の略号で、モスクワの場合SVO)紙テープのようなタグをつけますが、あのタグをちゃんとつけているか、タグの表示は間違いないか、自分でちゃんと見て確認しておくクセを私はつけています。荷物が行方不明になったという話をたまに聞くので自衛策です。そして、荷物を預けると必ず、航空券の裏などに貼り付けてくれる荷物のタグ番号の印字されている半券(上の写真)もその場で確認します。そして、いま搭乗券を出してくれて預かった荷物にタグをつけている職員に、この荷物は○○空港で受け取るのですねと確認します。とくに、どこかの空港を経由して最終目的地に向かう場合、経由する空港で荷物をいったん自分の手許に引き出すのか、預けっぱなしのまま飛行機を乗り換えて荷物は自動的に最終目的地に運ばれるのかは、重要な確認ポイントです。たとえば、モスクワで飛行機を乗り換えてペテルブルクに向かう場合、いま預けた荷物は自動的にペテルブルクに届くようになっているのでしょうか? タグにサンクト・ペテルブルクのプルコヴォ空港の略号であるLEDがなければ、その荷物はペテルブルクまでは行きません。

さて、今回、私の搭乗したアエロフロートはモスクワ経由パリ行きでしたが、私と預けた荷物はモスクワで降りますから、半券の表示は左の写真(上の写真の半券部分を拡大したもの)のようになっていました。

1行目は上半分が切れていますが、「NRT/JL 25AUG」と印字されているようです。「NRT」は搭乗地の成田空港の略号、「JL」はこの作業をしたのが日本航空を意味し、「25AUG」は日付。2行目は行き先。3行目は搭乗者名。4行目の「SU576」は便名(ちなみにSUはアエロフロートの略号)、「/25」は日付、「SVO0131JL100444」の「SVO」はシェレメチェヴォ空港の略号、「0131JL100444」は荷物番号(荷物に貼り付けたタグの番号と一致していなければならない)、5行目は作業をした航空会社。

この半券、何のため?と思っている人が多いと思いますが、これをなくすと、自分のスーツケースが自分のものだと主張できる根拠がなくなり、荷物を受け取ることができないことになります。成田では、「まさか他人のスーツケースを持っていってしまう人はいないだろう」という楽観主義があって、搭乗者の持っている半券の番号と、荷物のタッグの番号を係官が照合して、一致していることを確認してから、荷物を持ち出せるようにしていませんが、あれでいいのかなあと私は思います。あの楽観主義が日本人の海外旅行者に染みついているような気がしますが、たとえばロシアの国内線では、あのタグの番号照合をしないと、荷物を持ち出せない場合が多いのです。
(9月10日記)
| in Russia | 09:04 | comments(2) | trackbacks(0) |
| 1/2PAGES | >>

Copyright (c) UENO Toshihiko 2002-2014 All Rights Reserved.