RUSSIAN POLITICS / UENO'S SEMINAR
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日本とロシアが仲良くなることをアメリカはよく思っていない?
Facebookで、「日本とロシアが仲良くなることをアメリカはよく思っておらず、日ロ接近の兆しを見てとると必ず口出ししてくる…という通説がありますが、実際のところはどうでしょう?」という質問がありました。「日露接近」と言えば、「北方領土」問題ということで、この問題について限定して考えてみましょう。

まず、米国は、第2次世界大戦前に米英ソが宣言した「大西洋宣言」の領土不拡大の原則に反して、1945年ヤルタにおいて、ソ連の対日参戦を引き出すため、ソ連に、日本の領土であるサハリン南半部を「返還」し、千島列島を「引き渡す」ことを、英国とともに認めました。

米国は、このヤルタでの取り決めを、1951年サンフランシスコにおいて日本と連合国との平和条約として明文化して日本政府に認めさせ、同時に日米安全保障条約を締結して、日本を従属的同盟国として在日米軍基地を存続させました。

念のため付言しますが、サンフランシスコ平和条約における千島列島の範囲は、ヤルタ会談でのそれと同様、当然、地理上の一般的な千島列島の範囲(シュムシュ島から国後島まで)であり、日本政府も批准国会でそのように説明しています。「択捉島と国後島は、サンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島には含まれない」という解釈変更は1961年の池田内閣のときにおこなわれました。

さて、次いで日本政府は、中華人民共和国が参加していない、日本の放棄したサハリン南半部と千島列島がソ連領であることが明記されていない、などの理由によりサンフランシスコ平和条約に調印しなかったソ連と、個別に平和条約締結交渉をおこなうことになりましたが、条約の領土条項は、当然、ヤルタおよびそれを確認したサンフランシスコ平和条約と矛盾しないかたちで締結せざるを得ませんから、日本政府は、地理上の一般的な千島列島には含まれていない、歯舞諸島と色丹島の返還という条件で条約を締結しようとします。ところが、ここで米国は、日ソ平和条約が締結されることで、米軍基地撤去・沖縄返還の実現のために日米安保体制に反対する日本の親ソ派野党勢力(旧日本社会党)が勢いづくのをおそれ、日ソ間にくさびを打つことを決意し、突然、ヤルタとサンフランシスコの取り決めを反故にして、歯舞諸島と色丹島の返還を条件とした日ソ平和条約締結は認めないという方針に転換し(ダレスの恫喝)、それに従って日本政府は、択捉島と国後島の返還を追加したため、平和条約の締結に失敗します。

ここまでは歴史的事実だと思います。その後ブレジネフ時代に入り、ソ連はソ日間に未解決の問題はないとして、ゴルバチョフ登場までは、「北方領土」問題については取り付くシマもなかった、というのが日本政府の公式の説明ですが、少なくとも、1971年米中接近(ニクソンショック)、1972年日中国交正常化・沖縄返還(日米関係の好転)などで、ソ連が孤立感を深めた時期に何回か契機はあったようです(1972年1月グロムイコ外相訪日、10月田中総理訪ソ)。確証はありませんが、沖縄返還を実現した佐藤はそれに満足して日ソ平和条約締結交渉という危ない橋を渡る気持ちはなかったようですが、石油外交を表向きの理由にして訪ソした田中には野心があったようで、秘密裏に平和条約締結交渉の開始に合意したかも知れません。田中失脚の原因となったロッキード事件が米国の上院外交委員会から始まったことが気になります。つまりP3C対潜哨戒機の導入に絡む収賄事件とは別に、確証はありませんが、米国に、田中を失脚させたい理由があったというわけです。

日ソ・日露関係に関与するあれこれの有力政治家がスキャンダルまみれで失脚したり与党を離党したりということがあるたびに、そこに米国や外務省内の親米派の動きやらが噂として浮上しますが、ここまで来るともはや学問的研究の対象からは大きく逸脱してしまい、私にはわかりませんが、少なくとも学問的に見てはっきりしているのは、「北方領土」問題の発端は、ヤルタと、それを確認したサンフランシスコにあり、その主要なアクター、とくにサンフランシスコ平和条約の作成者は、ほかならぬ米国国務省だということです。ということは、「北方領土」問題の解決は、米国の同意なくしては困難であることは、明らかです。

原爆投下後の敗色濃厚なときに対日参戦して「北方領土」をかすめ取っていったソ連を「火事場泥棒」と非難し、ソ連・ロシアの「不法占拠」と言うことは簡単ですが、対日参戦は米国が求めたことであり、少なくとも択捉島と国後島の占領は米国の認めるところであったわけです。もちろん、日米同盟下にある現在の日本政府が米国を批判することはできませんが、私たちは、「北方領土」をめぐる歴史的事実を正確に理解しておく必要があると思います。
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