RUSSIAN POLITICS / UENO'S SEMINAR
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ロシア政治における「野党」と「反対派(反体制派)」

現在のロシア下院に議席を有する「統一ロシア」、ロシア連邦共産党、ロシア自由民主党、「公正ロシア」などのうち、与党「統一ロシア」以外の3党は、野党と言えるのだろうか、いや野党とは言えない、という意見を目にすることがある。

しかし、私は、ロシア連邦共産党、ロシア自由民主党、「公正ロシア」は、「野党」であると考えている。その理由は、以下の通りである。

本来は、ロシア連邦共産党、ロシア自由民主党、「公正ロシア」などは野党とは言えない、という意見の前提となっている「政党」や「野党」の定義は何か、といったことから議論を始めるべきなのだが、こうした意見が主張される際に、「政党」や「野党」の定義がなされているのを見たことがないので(それほど、網羅的にこうした意見を調べたわけではないが)、とりあえず、ここでは私の見解を一方的に主張するにとどめる。

私は、「政党」および「野党」を、とりあえずは、以下のように定義している。

「政党」とは、ある国家または地域において、当該国家または地域において定められている一定のルールに従って活動し、その党員および支持者が、選挙および議会活動を通じて、また選挙によって行政首長の職を得ることを通じて、立法および行政において、自党の政策を実現しようとする政治活動家の集団である。

「野党」とは、上記の定義の「政党」のうち、選挙によって行政首長のポストを占めることができなかった政党、および議院内閣制においては議会によって形成される政府の閣僚ポストをその党員および支持者によって占めることができなかった政党である。

私は、これらの定義に基づいて、現在、ロシア連邦共産党、ロシア自由民主党、「公正ロシア」は、「野党」であると考えている。

私の推測だが、ロシア連邦共産党、ロシア自由民主党、「公正ロシア」は、野党とは言えない、という意見が主張されるのは、これら3党が、プーチン大統領に本気で反対していない、プーチン大統領が構築した現在のロシアの権威主義的あるいは「強権的」体制に反対していない、あるいはその体制に反対しないどころか、その体制に乗っかって与党「統一ロシア」の食べ残したパイの残滓にありつこうとしている、と考えているからではないだろうか。

上記の政党の定義において、私は、「ある国家または地域において、当該国家または地域において定められている一定のルールに従って活動し」と述べた。この「一定のルール」は、明示的なもの、つまり憲法や法律などだけを意味するのではなく、いわば「暗黙のルール」も含む。「暗黙のルール」は、「暗黙」なだけに曖昧だし、文字通り暗黙のうちに変化する。「空気を読む」と言うときの「空気」のようなものである。この「暗黙のルール」を含めて、この「一定のルール」は、ときに、ざっくりと「体制」と言われることがある。つまり、そもそも政党は、野党も含めてこの「体制」に従う(受け入れる)、あるいはこの「体制」に乗っかったものである。まあ、「乗り方」にも多様性があるから、曖昧な部分はあるが。

で、日本の暗黙のルールって、どんなものか。例えば、「米国の核の傘の下にいる現状をとりあえず受け入れること」だったり、「自由と民主主義を標榜する諸国の一員だと主張すること」だったり、「自由競争と市場経済をとりあえず肯定すること」だったりするのだろう。まあ政党論にはあまり関係ないが、わかりやすい例を挙げると、雅子「さま」とか、愛子「さま」とか言ったり書いたりする、なんてのも、憲法や法律では決められていないから、暗黙のルールなんだろう。もちろん、「我が党は米国との軍事同盟から脱し、中立日本を目指します」と主張している政党があることは承知している。だから、「核の傘」や「市場経済」のくだりで、「とりあえず」と書いたのである。まあ、日本政治の場合は、米国との関係が多分もっとも重要なことだろう。現状の日米関係をキョヒる、あるいは根本的に覆そうとすると、日本で、政治家としてやっていくのはかなりキツいだろう。少なくとも、組織として守ってもらえないと、かなりキツい。

さて、ロシアの「暗黙のルール」には、どんなものがあるのだろう。多分、日本とは逆の意味で、やはり米国(あるいは「西側」)との関係は重要だろう。今のロシア政治では、外交の文脈で「親米」とか「米国との全面的な協調・協力」とかを主張すると、政治家としてはかなりキツい。個別政策で言えば、例えば、「クリミア併合は間違った政策だ」と言うのもアウトだろう。国内政治の文脈では、国民の68%(最新のレバダセンターの調査)がその活動を肯定しているプーチンを侮辱するのが、いちばんキツい。もちろん、コアな支持を得ようとするならOKだし、欧米のメディアが喜んで飛びつくので、一定の需要はあるが。

で、ロシアでも日本でも、体制を根底から批判する、いわば「ちゃぶ台返し」は、もはや「野党」として許容されず、「反対派」ないし「反体制派」となる(ただし、ソ連政治における「反体制派」が特定の意味を持っていたので、その発想から抜けきらない状態で、ロシア政治の文脈で「反体制派」という用語を用いるのは誤解を招く可能性があり、慎重である必要がある)。

この「反対派」ないし「反体制派」だけを「野党」と言うべきだと主張すると、日本の国会に議席を有する野党のほとんど(またはすべて)は「野党」ではないし、現在の米国の民主党も英国の労働党も「野党」ではない、ということになる。ロシア史に当てはめて考えてみれば、帝政期の下院に議席を有する政党はほとんどすべて「野党」ではなく、「野党」はボリシェヴィキとエスエル左派だけということになる。

このような議論をしていると、思い出すのは、1960年代末期の全共闘運動(学園紛争)全盛期の頃のことである。私は、学園紛争のために東大入試が中止となった翌月の4月に、高校に入学した。従って、私は、高校生から学園紛争に関わり始めたのだが、あの頃、私たちは、社会党や共産党などの野党を「既成政党」と呼び、学園紛争の担い手であった全共闘は「既成政党」とは異なり、反体制闘争をやっているのだと考えていた。私の高校時代(1969年4月〜73年3月[4年間だが間違いではない])と大学時代の前半(1974年4月〜76年3月)は、中核派や革マル派といった「セクト」によって主導権を握られた「全共闘運動」が過激化し敗北していく過程だった。当時の左翼学生の多くは、「アメリカ帝国主義」や「独占資本主義」あるいは自民党政権を批判するのと同じくらい(ときにそれ以上の)力を込めて「既成政党」である社会党や共産党を批判していた。私は自身も関わった全共闘運動が敗北していく過程で感じた矛盾や問題意識を、大学時代の後半以降、ロシア政治史・法制史に投影し理論化していくことから研究をスタートさせた。

少し話が横道に逸れたので元に戻す。

私が定義する「野党」と、「反対派」ないし「反体制派」との違いは、繰り返すが、私が冒頭で、「政党とは、ある国家または地域において、当該国家または地域において定められている一定のルールに従って活動し」と書いたときの、この「一定のルール」にちゃんと従うのか、それともあまり従わない(あるいは受け入れない)のかによるのだ。もちろん、その境界線は明確ではなく、違いは相対的なものではあるが。そして明らかなように、議会に議席を持つか持たないかが、その違いではない。

 

JUGEMテーマ:学問・学校

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