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このブログの管理人(上野俊彦)の見解は管理人個人のものであり、管理人の所属する上智大学を代表するものではありません。
広告は管理人および管理人の所属する上智大学とは無関係です。掲載されている写真はとくに断りがない限り管理人が撮影したものです。

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ウクライナについて(この2か月のTwitterから)
この2か月ほどのTwitterfacebookの書き込みから転載します。

◆7月24日のTwitterより[メドヴェージェフ・ロシア首相の発言に対して]
メドヴェージェフ・ロシア首相、「ロシアにはウクライナでの紛争の責任はない。責任は現在及び過去のウクライナ政府にある」と。それはないと思う。ウクライナ政府に最大の責任があるのは事実だが、EUや米国にも、ロシアにも、責任はあると思うが。

◆9月1日のTwitterより[8月31日のキエフ最高会議ビル前の騒乱・爆発事件の映像に対して]
キエフのウクライナ最高会議ビル前の騒乱の映像を見る限り、参加者の持つ旗は、ウクライナ国旗よりも自由(スヴァボーダСвобода)党の旗のほうが多い。過激なウクライナ民族主義を体現するこの党はドネツィクとルハンシクに自治権を与える憲法改正に強く反対し、騒乱を引き起こしたわけだ。
しかし、ウクライナ最高会議ビル前での爆発を引き起こしたのが自由党員であるかどうかはわからない。
それにしても、ヤヌコーヴィチ政権崩壊のきっかけとなった昨年2月の騒乱での射殺事件にしても、いまだに誰が仕掛けたのかはっきりしない。
昨年の春、私は、ドネツィクやルハンシクに自治権を与える連邦制を導入しないと内戦になるとあちこちで発言したが、結局、内戦でぐちゃぐちゃになった今になって連邦制導入が審議されている。
そして、その審議中に、またまた騒乱、爆発だ。このままでは連邦制導入は難しいかも知れない。
しかし、ここまでウクライナ情勢がこじれるとは!
 
| about Ukraine | 09:55 | comments(0) | - |
デザイン優先で、コストは当初から「課題」だった、新国立競技場設計案
7月6日に facebook上で新国立競技場のデザインを「醜悪とさえ思える」と書きましたが、学生さんからよいデザインだという意見も聞きました。いずれにせよ、デザインの問題は好みの問題があり、議論の本質的な問題ではありません。ただ、デザインについて言えば、上空からの鳥瞰パースが完成予想図として使用されていることが多いのですが、完成後に人々が実際に見るのは、地上からアクセスするときの視線です。

さて、議論の本題に入りますが、今日の安藤氏の記者会見の際に配布された資料( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150716-00000003-wordleaf-soci )によると、「『1300億円の予算』、『神宮外苑の敷地』、オリンピック開催に求められる『80,000人の収容規模』、スポーツに加えコンサートなどの文化イベントを可能とする『可動屋根』といった、これまでのオリンピックスタジアムにはない複雑な要求が前提条件としてありました」と書かれています。 ところが、ザハ・ハディド氏の案が選ばれた理由としては次のように書かれています。

「審査で選ばれたザハ・ハディド氏の提案は、スポーツの躍動感を思わせる、流線形の斬新なデザインでした。極めてインパクトのある形態ですが、背後には構造と内部の空間表現の見事な一致があり、都市空間とのつながりにおいても、シンプルで力強いアイディアが示されていました。とりわけ大胆な建築構造がそのまま表れたアリーナ空間の高揚感、臨場感、一体感は際立ったものがありました」。

つまり、重視されたことがデザインであるということがわかります。そして、さらに次のように書かれています。

「一方で、ザハ・ハディド氏の案にはいくつかの課題がありました。技術的な難しさについては、日本の技術力を結集することにより実現できるものと考えられました。コストについては、ザハ・ハディド氏と日本の設計チームによる次の設計段階で、調査が可能なものと考えられました」と述べられています。

以上のことから、ザハ・ハディド氏の案は、デザインで選ばれ、「技術的な難しさ」と「コスト」は当初からの課題だった、ということなのです。

個人の住宅と比較するのが適切であるかどうかわかりませんが、私が2001年に自宅を建築したとき、まず初めに予算があり、その予算の範囲内で、デザインや機能などの面で、最善のプランを考えるために、建築家の方と一緒に何度も協議し、調査・研究し、約半年の時間をかけて設計プランを作成しました。予算が無尽蔵でない以上、まずコストがあり、その範囲でしかつくれないのです。

ところが、新国立競技場はどうでしょう。コストや技術(技術によりコストも決まります)は後回しで、デザインが選定の決め手になっています。まったくあり得ないことです。安藤忠雄氏を初めとして、この新国立競技場の建設に係わっている方たちが、まず予算ありき、つまり国民の税金によってつくられるのだ、ということについてどれだけ考えたのでしょうか。
| comments | 13:15 | comments(0) | - |
安保法制は違憲なのに自衛隊は合憲なの?
私は、自衛隊は戦力にあたるので憲法違反だと考えています。したがって、私は、憲法9条を改正してから、防衛庁と自衛隊を設置すべきであったと考えています。このときの、憲法改正なしに、なし崩し的に再軍備したという「ボタンの掛け違え」のしわ寄せが、さまざまな問題を生み出しているのだと思います。

また現在の安保法制の議論では、憲法9条が認めている自衛権は個別的自衛権までか集団的自衛権までか、ということになっていて、多くの専門家は個別的自衛権しか認めていないという立場に立っているように見えますが、この問題も、詳細な検討が必要です。

憲法9条がありながら自衛隊の存在を認める立場は、おおむね、「自衛権、すなわち自分で自分を守る権利、というものを認めないという法理はあり得ない。だから、憲法9条も個別的自衛権までは否定していない。従って、憲法9条は、最小限の専守防衛に徹する自衛隊の存在を否定するものではない」とする考え方に基づいていると考えられます。私は、この考えは、一見、合理性があるように見えますが、実は、「自分で自分を守る権利」という個人の権利と、「国家の自衛権」とを同列にして論じているところに問題があると考えています。

人が何者かによって攻撃を受けたとき、身を守り、ときに相手に反撃することを肯定する考え方を正当防衛と言いますが、これはあくまで個人レベルの話であって、国家が軍隊を持つことを、この個人レベルの正当防衛の論理で説明するのは無理があります。立憲主義の考え方に立てば、軍隊や警察は公権力が有する武装組織として、憲法や法律によって厳格に定められる必要があるからです。軍隊や警察が発動されるときには、個人の人権が非常な危険にさらされたり、ときに人権が制限されたり脅かされたりするからです。

従って、憲法9条は、戦力を持つこと、すなわち軍隊を持つこと自体を禁じていると考えるのが妥当であり、抽象的な、あるいは個人レベルの自衛権は、憲法に書かれていようといまいと認められていると考えるべきですが、自衛隊という軍隊を持つことは認めていないし、憲法に書かれている通り、交戦権も認めていないのです。多くの戦争が自衛の名の下で国際紛争の解決のために行われてきた歴史に鑑みれば、どう読んでも、憲法9条は自衛隊の存在やまして自衛隊が他国軍隊と交戦することを認めていないと解釈するのが妥当です。

いま述べたように戦争はおよそ自衛戦争として行われます。例えば、自国の領土であると主張している領土が、他国によって占拠されているとき(その場合、その他国も、その領土を自国の領土と主張していることが一般的です)、その領土を取り戻すために軍隊を派遣することが自衛の名の下で行われても、他国の側は侵略されたと主張し、「自衛のために」反撃に出ることになります。こうして、自衛権を発動した国どうしが交戦することになります。これはまさに、領土の領有をめぐる国際紛争を戦争によって解決しようとする行為に他なりません。

このように自衛戦争と侵略戦争の区別なんてできないし、相手の攻撃基地を先制攻撃することこそもっともすぐれた防衛措置であるという考え方もあり、そもそも21世紀の今日、最新の技術によって開発された兵器を使用して行われる戦争は、ますます防衛と攻撃の区別が曖昧になっています。

以下、結論です。軍隊を持つなら憲法9条の改正が必要です。軍隊を持つ以上、交戦権は認められなければなりません。その上で、軍隊の出動の承認手続について(緊急の場合は事後承認)、憲法で定めなければなりません。また出動の承認手続に際しての判断の基礎とすべき出動事由について明記した法律(これが安保法制にあたる)を制定すべきです。軍隊を持つこと、交戦権を持つこと、派兵することを認めないというのなら、憲法9条は改正すべきではありませんし、自衛隊はすぐに解散すべきです(国境警備、防空その他の必要のための軍部隊をどうするかは、海上保安庁との関係も含め、別途検討すべきですが)。私の主張は、すでに各所で述べていますが、憲法と現実の乖離により、憲法が空洞化することが最も危険だというものです。
| comments | 10:17 | comments(0) | - |
国民は選挙で自民党に過半数の議席を与えたのだから安保法案に反対するのはおかしい?

選挙人は、選挙に際して、A党またはその候補者に投票するからと言って、A党またはその候補者の政策および主張をすべて知っていて投票しているわけではないし、仮にすべて知って投票したとしても、A党またはその候補者の政策および主張にすべて賛成しているわけではない。自分が投票する政党または候補者の政策および主張に100%賛成できない限りその政党またほ候補者に投票すべきではないとしたら、どの選挙人も、いずれの政党または候補者にも投票できなくなってしまう。つまり、民主主義とは、選挙がすべてではないし、選挙で過半数を占めた政党の政策および主張のすべてが、国民の過半数の支持を得ているわけではない。

さらに、選挙制度それ自体の性質からみて、一票の格差は別としても、過半数票を獲得した政党または候補者の絶対得票率(投票率×得票率)が50%を超えることなど滅多にない。小学生でも計算できるが、投票率70%、得票率70%でも、絶対得票率は49%である。

だから、直近の総選挙の結果、自由民主党と公明党が過半数の議席を占めたからと言って、過半数の国民の支持を得ているとは言えないし、まして特定の政策や主張に対して支持しているとも言えない。与党および政府の政策に対してごちゃごちゃ言うのは時間の無駄と主張するのは、「民主主義はすなわち選挙である」と主張するに等しいが、民主主義とは、選挙制度の問題だけでなく、個別の政策や行政行為についての説明責任を果たすこと、選挙以外の政治参加の仕組みを構築すること、そもそも個別の法令および行政行為が憲法および上位の法令に適合しているかを個別に審査していく仕組みがあること、さらにすでに施行された、または実施された法令および行政行為に対してさえ、異議を唱え、必要であれば裁判に訴えて、その法令または行政行為を無効または差し止めることが可能となる制度を持つこと、など多様な仕組みによって初めて担保されるものである。議席が多数を占めているから何でもできるわけではない。最も端的な例を挙げれば、議会の多数決によって採択された法令も、裁判所の判断で無効にできるのである。

さらに加えて言えば、ここで問題にされている選挙も、日本では、その選挙制度自体が公正でないため、司法によって「違憲状態」とされてきたことである。

また、安保法制に対する反対の理由についても、考えてみる必要がある。例えば、多くの憲法学者が、安保法制は憲法違反である、と主張していることに注意して欲しい。つまり、憲法9条をそのままにして、政府が憲法解釈を変更することにより、憲法が定めていることから逸脱することは、結果的に憲法の空洞化・無視につながり、憲法に基づいて政治が行われるという立憲主義の基本を掘り崩してしまうという、これこそ民主主義の根幹が揺らぐ事態になっていることを批判しているのである。政府・行政は憲法・法令によって規制されている。その政府が憲法の解釈をし、憲法の規定から大きく逸脱していることに対して、強い危機感を持っているのである。

現在の内容の安保法制を制定するのであれば、まずは憲法9条の改正をしてから行うのが、立憲主義に基づいた民主主義であると私は考える。

| comments | 11:34 | comments(0) | - |
国際情勢にも目をつぶって従来の(憲法)解釈に固執するのは政治家としての責任の放棄?
2015年6月19日付の新聞報道によれば、「安倍晋三首相は18日、衆院予算委員会の集中審議で、集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安全保障関連法案について、『国際情勢にも目をつぶって従来の(憲法)解釈に固執するのは政治家としての責任の放棄だ』と述べた」という。

時代の推移により情勢が変化した場合、憲法や法律の改正をせずに解釈を変更していては、憲法や法律の持つ規範的意味を喪失してしまう。したがって、安倍総理の言葉が、「国際情勢にも目をつぶって従来の(憲法)条文に固執するのは政治家としての責任の放棄だ」というのであれば理解できる。

くり返して言う。憲法は公権力の専横から国民の権利を守るために存在する。つまり、憲法は公権力の担い手たる政府や政治家を縛るものである。これが立憲主義の考え方だ。

したがって、政府は、憲法や法律が現状に合致していないと考えるのであれば、憲法改正や法改正を目指すべきであり、憲法改正に国民投票の手続がある以上、憲法改正の必要性を国民に説明し、国民の支持を得て憲法改正をすべきである。それこそが政治家の責任である。

そのときどきの公権力が、憲法の解釈変更により、憲法の条文から逸脱するとすれば、民主主義の根幹たる近代立憲主義を無視した文字通りの公権力の専横と言わざるをえない。
| comments | 11:22 | comments(0) | - |
日本とロシアが仲良くなることをアメリカはよく思っていない?
Facebookで、「日本とロシアが仲良くなることをアメリカはよく思っておらず、日ロ接近の兆しを見てとると必ず口出ししてくる…という通説がありますが、実際のところはどうでしょう?」という質問がありました。「日露接近」と言えば、「北方領土」問題ということで、この問題について限定して考えてみましょう。

まず、米国は、第2次世界大戦前に米英ソが宣言した「大西洋宣言」の領土不拡大の原則に反して、1945年ヤルタにおいて、ソ連の対日参戦を引き出すため、ソ連に、日本の領土であるサハリン南半部を「返還」し、千島列島を「引き渡す」ことを、英国とともに認めました。

米国は、このヤルタでの取り決めを、1951年サンフランシスコにおいて日本と連合国との平和条約として明文化して日本政府に認めさせ、同時に日米安全保障条約を締結して、日本を従属的同盟国として在日米軍基地を存続させました。

念のため付言しますが、サンフランシスコ平和条約における千島列島の範囲は、ヤルタ会談でのそれと同様、当然、地理上の一般的な千島列島の範囲(シュムシュ島から国後島まで)であり、日本政府も批准国会でそのように説明しています。「択捉島と国後島は、サンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島には含まれない」という解釈変更は1961年の池田内閣のときにおこなわれました。

さて、次いで日本政府は、中華人民共和国が参加していない、日本の放棄したサハリン南半部と千島列島がソ連領であることが明記されていない、などの理由によりサンフランシスコ平和条約に調印しなかったソ連と、個別に平和条約締結交渉をおこなうことになりましたが、条約の領土条項は、当然、ヤルタおよびそれを確認したサンフランシスコ平和条約と矛盾しないかたちで締結せざるを得ませんから、日本政府は、地理上の一般的な千島列島には含まれていない、歯舞諸島と色丹島の返還という条件で条約を締結しようとします。ところが、ここで米国は、日ソ平和条約が締結されることで、米軍基地撤去・沖縄返還の実現のために日米安保体制に反対する日本の親ソ派野党勢力(旧日本社会党)が勢いづくのをおそれ、日ソ間にくさびを打つことを決意し、突然、ヤルタとサンフランシスコの取り決めを反故にして、歯舞諸島と色丹島の返還を条件とした日ソ平和条約締結は認めないという方針に転換し(ダレスの恫喝)、それに従って日本政府は、択捉島と国後島の返還を追加したため、平和条約の締結に失敗します。

ここまでは歴史的事実だと思います。その後ブレジネフ時代に入り、ソ連はソ日間に未解決の問題はないとして、ゴルバチョフ登場までは、「北方領土」問題については取り付くシマもなかった、というのが日本政府の公式の説明ですが、少なくとも、1971年米中接近(ニクソンショック)、1972年日中国交正常化・沖縄返還(日米関係の好転)などで、ソ連が孤立感を深めた時期に何回か契機はあったようです(1972年1月グロムイコ外相訪日、10月田中総理訪ソ)。確証はありませんが、沖縄返還を実現した佐藤はそれに満足して日ソ平和条約締結交渉という危ない橋を渡る気持ちはなかったようですが、石油外交を表向きの理由にして訪ソした田中には野心があったようで、秘密裏に平和条約締結交渉の開始に合意したかも知れません。田中失脚の原因となったロッキード事件が米国の上院外交委員会から始まったことが気になります。つまりP3C対潜哨戒機の導入に絡む収賄事件とは別に、確証はありませんが、米国に、田中を失脚させたい理由があったというわけです。

日ソ・日露関係に関与するあれこれの有力政治家がスキャンダルまみれで失脚したり与党を離党したりということがあるたびに、そこに米国や外務省内の親米派の動きやらが噂として浮上しますが、ここまで来るともはや学問的研究の対象からは大きく逸脱してしまい、私にはわかりませんが、少なくとも学問的に見てはっきりしているのは、「北方領土」問題の発端は、ヤルタと、それを確認したサンフランシスコにあり、その主要なアクター、とくにサンフランシスコ平和条約の作成者は、ほかならぬ米国国務省だということです。ということは、「北方領土」問題の解決は、米国の同意なくしては困難であることは、明らかです。

原爆投下後の敗色濃厚なときに対日参戦して「北方領土」をかすめ取っていったソ連を「火事場泥棒」と非難し、ソ連・ロシアの「不法占拠」と言うことは簡単ですが、対日参戦は米国が求めたことであり、少なくとも択捉島と国後島の占領は米国の認めるところであったわけです。もちろん、日米同盟下にある現在の日本政府が米国を批判することはできませんが、私たちは、「北方領土」をめぐる歴史的事実を正確に理解しておく必要があると思います。
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サハリン州知事の逮捕に関連した法制度についての覚書
最近、新聞で、サハリン州知事が逮捕されたという記事をちらっと見た気がしていましたが、サハリンに派遣されている記者さんからそれに関連した質問がメールで寄せられてきました。お返事を差し上げるために、それなりに調べたりもしたので、自分の覚えとしても必要なので、返信の質疑応答の部分だけ、転載することにしました。

|了を決める際に「選挙するしない」「大統領が任命するしない」はどのような法令に基づくのでしょうか?

ロシア連邦は連邦制を採用していますので、連邦構成主体首長の決め方については、「ロシア連邦の連邦構成主体の立法(代議制)国家権力機関の組織の一般原則についての連邦法」(1)および「ロシア連邦国民の選挙権および国民投票参加権の基本的保障についてのロシア連邦法」(2)で基本原則を定め、その基本原則の枠内で、各連邦構成主体が、連邦構成主体の憲法(または憲章)および法律によって独自に定めることができるようになっています。

さて、連邦構成主体首長の選出の原則については、「ロシア連邦の連邦構成主体の立法(代議制)国家権力機関の組織の一般原則についての連邦法」第18条第3項第1段が、「ロシア連邦の連邦構成主体の最高公職者(ロシア連邦の連邦構成主体の最高執行国家権力機関の長)は、ロシア連邦の当該連邦構成主体の領域内に居住し、連邦法に従って秘密投票による普通・平等・直接選挙権に基づく選挙権を有する、ロシア連邦国民により選挙される」と規定して、連邦構成主体首長が住民による直接選挙により選出されること、いわゆる公選制を定めています。

しかし、同法第18条第3.2項第1段は、「ロシア連邦の連邦構成主体の憲法(憲章)および法律により、ロシア連邦の連邦構成主体の最高公職者(ロシア連邦の連邦構成主体の最高執行国家権力機関の長)が、本項の規定に従って、ロシア連邦の連邦構成主体の立法(代議制)国家権力機関の議員により選出されることを定めることができる」と規定し、連邦構成主体首長が、住民による直接選挙、いわゆる公選ではなく、当該連邦構成主体の議会によって選出することができると定めています。

この場合、国家会議(下院)および当該連邦構成主体議会に議席を有する政党が候補者リストを大統領に提出し、その中から大統領が候補者を選定して、当該連邦構成主体議会に提案されるという手続きが取られます。

これが、いわゆる大統領による連邦構成主体首長の任命制と言われるものですが、実際には、単純に大統領が任命するのではなく、当該連邦構成主体議会に議席を有する政党が候補者をノミネートし、その中から大統領が最も適当だと思われる候補者を選定し、当該連邦構成主体が選出する方式ですので、大統領が地元の意向を無視して好き勝手に連邦構成主体首長を任命できるわけではありません。

このように、「ロシア連邦の連邦構成主体の立法(代議制)国家権力機関の組織の一般原則についての連邦法」は、第18条第3項で、連邦構成主体首長の公選制を定めていますが、第18条3.2項で、連邦構成主体の憲法(憲章)および法律に定めがある場合には公選によらず連邦構成主体議会による選出ができると規定しています。

そこで、サハリン州の場合がどうなっているのかを知るためには、「サハリン州憲章」(3)および「サハリン州知事選挙についてのサハリン州法」(4)を見る必要があります。

「サハリン州憲章」第25条第2項は、州知事に選ばれることのできる住民の要件について規定していますが、「連邦法、サハリン州憲章、サハリン州法によって定められている手続きに従って」選ばれるとあるだけで、具体的な選出手続を定めていません。

そこで、「サハリン州知事選挙についてのサハリン州法」を見てみると、その第1条第1項で、「サハリン州知事は、秘密投票による普通・平等・直接選挙権に基づいてロシア連邦国民によって選出される」と規定しており、サハリン州知事は公選制であることがわかります。

注(1) http://base.consultant.ru/cons/cgi/online.cgi?req=doc;base=LAW;n=174904
注(2) http://base.consultant.ru/cons/cgi/online.cgi?req=doc;base=LAW;n=174896
注(3) http://www.dumasakhalin.ru/documents/region-regulations
注(4) http://doc.dumasakhalin.ru/document926.html

当初任期4年だったのが、5年になったのは最近ですか?

最近ではありません。少なくとも2009年10月26日にはサハリン州知事の任期が5年になっていることが「サハリン州憲章」を見ることで確認できます。「サハリン州憲章」第25条第3項は、「サハリン州知事の任期は5年である」と規定しています。この第25条のテキストは2009年10月26日付サハリン州法による修正に基づくテキストであることが同憲章に書かれています。

ところで、前述の「ロシア連邦の連邦構成主体の立法(代議制)国家権力機関の組織の一般原則についての連邦法」は、連邦構成主体首長の任期については、その第5項で、「ロシア連邦の連邦構成主体の最高公職者(ロシア連邦の連邦構成主体最高執行国家権力機関の長)は、5年を超えない任期で選出され、連続して2期を超えて上記の職に選出されることはできない。ロシア連邦の連邦構成主体の最高公職者(ロシア連邦の連邦構成主体最高執行国家権力機関の長)の任期は、ロシア連邦の連邦構成主体の憲法(憲章)によって定められ、その就任の日から数えられる」と規定していますので、5年を上限として、連邦構成主体が独自に定めることができることになっています。

それゆえ、サハリン州知事の任期が4年だったこともあるわけですが、いつまで4年だったのかは、現時点では調べられませんでした。ただし、「サハリン州憲章」の修正の履歴を遡っていくと、たまたま2005年10月14日の段階では4年の任期であることがわかりました(5)。

したがって、サハリン州知事の任期が4年から5年に変わったのは、少なくとも2005年10月14日から2009年10月26日までのあいだであるということは確かです。

もっとも、2004年12月11日付の「ロシア連邦の連邦構成主体の立法(代議制)国家権力機関の組織の一般原則についての連邦法」の修正によって、連邦構成主体首長の事実上の任命制が導入され、その制度は、2012年5月2日付の「ロシア連邦の連邦構成主体の立法(代議制)国家権力機関の組織の一般原則についての連邦法」の修正による公選制の復活まで続きますので、この間、連邦構成主体首長の任期は実際のところ意味はなかったとも言えます。

注(5) http://vff-s.narod.ru/sb/b6/270_00.html

A挙を経ても大統領の任命が必要なのでしょうか?(昨年統一地方選で沿海地方知事はこの流れでした)

前述の「ロシア連邦の連邦構成主体の立法(代議制)国家権力機関の組織の一般原則についての連邦法」第18条第3項,よび同法第18条第3.2項,竜定を見る限り、国民による直接選挙か、大統領の推薦する候補者を連邦構成主体議会が選出するか、どちらかであると考えられます。プリモーリエ辺区の事例については、辺区の憲章および法律等を調べてみなければわかりません。

し沙事件に問われる際、どのタイミングで知事を失職することが多いのか?

連邦構成主体首長の任期満了前の辞職については、前述の「ロシア連邦の連邦構成主体の立法(代議制)国家権力機関の組織の一般原則についての連邦法」第19条第1項第7号および「サハリン州憲章」第28条第2項第7号には、「裁判所の有罪判決の法的効力が連邦構成主体首長に対して及ぶとき」と規定されていますから、有罪判決の確定により、失職すると考えられます。

ただし、同法第19条第1項第2号および同憲章第28条第2項第2号は、連邦構成主体議会による不信任に関連して「大統領によって免職されたとき」、同法第19条第1項第4号および同憲章第28条第2項第4号には、「不適切な職務執行」、法律違反、汚職等により、「大統領の信頼が失われることにより免職されたとき」、などの規定がありますから、議会の不信任決議の採択や「大統領の信頼が失われた」と判断するのに妥当な事由があれば、有罪判決の確定を待たずに失職する可能性があると考えられます。

ズ2鵑里茲Δ妨戎γ了が汚職事件ですぐに拘束・逮捕される事例は過去にあったのでしょうか?

正確に記憶していませんが、あったと思います。

ロシアでは、大統領および国会議員は、任期の全期間にわたり不逮捕特権があります(ロシア連邦憲法第91条、第98条)が、連邦構成主体首長には不逮捕特権はありません。したがって、汚職等の容疑がある場合、証拠隠滅のおそれがあると見なされれば、すぐに逮捕・拘留されることになるでしょう。

訴訟手続は、警察(ロシアの場合は、内務省指揮下の警察だけでなく、保安庁、税務警察等も捜査権や逮捕権があるようです)による逮捕・拘留がまずあり、その後に起訴→検察による取り調べ→公判→判決という手順ですすめられます。他人に危害を及ぼすおそれがない、証拠隠滅や逃亡のおそれがない、と裁判所が判断した場合には、逮捕後の拘留期限の延長が認められず、釈放されることになります。

以上です。
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ネムツォフ元第1副首相の暗殺(3月2日のTwitterのまとめ)
ネムツォフ元第1副首相の殺害。ネムツォフが著名な政治家で、野党(とはいえ下院に議席はない)指導者だったため、日本のメディアではプーチン政権が反対派つぶしのためにやったと言わんばかりの報道もあるが、そんなお粗末な話ではないだろう。

ネムツォフら、右派リベラルといわれるグループはエリツィン政権期に政権中枢にいたわけだが、そのときロシア経済はひどい状態だった。他方、プーチンが大統領になった2000年以降、ロシアは高度経済成長に入り、豊かになった。だから、プーチン支持率は高く、右派リベラルは下院の議席が取れない。

右派リベラルは厳しい政権批判をしているが政治的影響力は小さい。次回下院選では小選挙区が復活し、右派リベラルがわずかな議席を獲得する可能性はあるが、政権は揺らぐはずもない。右派リベラルが政権批判のデモや集会をやっても、むしろ政権は「ほら、ロシアには言論の自由があるでしょ」と言える。

政権内のもののわかった連中は、右派リベラルの指導者を殺害したところでメリットは何もなく、むしろ西側の「だからロシアは」という反露キャンペーンが盛り上がることのデメリットのほうが大きいことをわかっているだろう。昨年来のウクライナ危機のため白い目で見られている昨今なら、なおのことだ。

ネムツォフ暗殺を、ロンドンで毒殺されたリトビネンコ元保安庁職員、モスクワで射殺されたフリージャーナリストのポリトコフスカヤと並べて、「ロシアの闇」という見出しが躍った。だがリトビネンコもポリトコフスカヤも殺害される前は無名の人だった。著名な政治家だったネムツォフとはまったく違う。

リトビネンコとポリトコフスカヤとネムツォフの共通点は殺害されたということだけで、背景事情はそれぞれまったく違う。だが、「ロシアの闇」を喧伝する材料としては同じということだろうか。しかし、ネムツォフは、先の両者とは違い、政治家として多少なりとも国内では影響力があった人だ。

ユーシェンコ・ウクライナ大統領の顧問になったことなど、プーチン政権になってからのネムツォフの行動に疑問(つまりロシア国内の右派リベラルの糾合のためにもっと働くべきだ)がないわけではないが、今回の暗殺は、ロシアにとって、つまり政権にとっても国民にとっても、とても残念なことだと思う。
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ウクライナのキイウで2014年2月21日から22日にかけて起きた出来事から1年
複雑な政治的事件の原因や始まりは一つではない。こんにち「ウクライナ政変」または「ウクライナ危機」と呼ばれている事件も、その原因や、そもそもいつから始まったのか、ということを一つに特定することは難しい。とはいえ、今日から1年前の2014年2月21日から22日にかけてキイウで起きた一連の出来事が「ウクライナ政変」の一つの区切りであったことは間違いない。

在ウクライナ日本国大使館の『ウクライナ週報【2月15日〜2月21日】』(2014年2月25日)は、2月21日の項に以下のように記している。
 
▼大統領・政府及び野党・反対派の協議
・21日、ヤヌコーヴィチ大統領は、EU3カ国代表(独・ポーランド外相及び仏外務省欧州大陸担当局長他)同席の下、野党3党指導者(クリチコ・ウダール党党首、ヤツェニューク・バチキフシチナ党会派長及びチャフニボク・スヴォボーダ党党首)と政治危機解決に向けた合意文書に署名。ロシア代表のルキン人権委員他3名は、合意のアクターが不明であること等を理由に同席せず。合意内容は、挙国一致内閣の樹立、本年12月までに繰り上げ大統領選挙実施、最高会議で大統領の権限を制限する2004年憲法への回帰法案採択、 与野党・欧州評議会監視の下、暴力行為の責任者の捜査、政府・反政府双方の暴力停止・違法な武器所持の停止、占拠した建物・道路の解放、及び「恩赦法」の採択。
▼野党及び反政府側の動向
・21日、午後8時頃、野党3党党首が反政府活動家・キエフ市民で満杯の独立広場に登場し、ヤヌコーヴィチ大統領との合意等に関する説明を実施。ヤツェニューク・バチキフシチナ党会派長は、合意内容は最善策でなく大統領選の時期見直し等が必要であり、独立広場での反対運動を継続する旨発言。これに対し、全国「独立広場」連盟、「ライト・セクター」及び「自警隊」等は合意内容に不満を示し、ヤヌコーヴィチ大統領の即時辞任及び繰り上げ大統領選挙実施、及び反政府活動家等を襲撃した責任のある警察実行部隊、同幹部、検察官及び裁判官等の処罰を要求し、犠牲者の棺を示す等して野党党首に対し「恥を知れ」と連呼。

その1週間後に発行された在ウクライナ日本国大使館の『ウクライナ週報【2月22日〜2月28日】』(2014年3月4日)は、2月22日の項に以下のように記している。
 
▼最高会議での動き
・22日、午前10時頃より本会議が再開。審議における結果は概要以下のとおり。
−ティモシェンコ元首相をベニス委員会決定に基づき即座に解放する旨の法案が採択(賛成322)。(同日午後17時過ぎ、同元首相釈放)
−21日に2004年憲法への回帰を認める法案が採択されていたものの、ヤヌコーヴィチ大統領が与野党合意による期限内に署名を行わなかったとして、同憲法を即座に発効させる法案が採択(賛成325)。
−ヤヌコーヴィチ大統領は憲法に定められた権限を放棄し義務を遂行し得ないとし、5月25日に繰り上げ大統領選挙を実施する旨の決議案が採択(賛成328)。

これらの『ウクライナ週報』の記事には、2014年2月21日の深夜から翌22日の未明にかけてヤヌコーヴィッチ大統領が逃亡したことは直接的には書かれていないが、引用した22日の項の最後の部分に、「ヤヌコーヴィチ大統領は憲法に定められた権限を放棄し義務を遂行し得ない」と書かれていることから、このときすでにヤヌコーヴィチ大統領がその権限を行使していなかったことがわかる。
 
この2日間の記事を読んですぐに気付くことは、21日に、EU3ヵ国代表の同席の下、ヤヌコーヴィチ大統領と野党3党指導者が、政治危機解決に向けた合意文書に署名したことである。しかし、この合意は実施されなかった。それどころか、この合意の一方の当事者であるヤヌコーヴィチ大統領は逃亡してしまった。なぜなのか。そのことは、そのすぐあとの『ウクライナ週報』の記述が教えてくれる。すなわち、「21日、午後8時頃、野党3党党首が反政府活動家・キエフ市民で満杯の独立広場に登場し、ヤヌコーヴィチ大統領との合意等に関する説明を実施。・・・これに対し、全国「独立広場」連盟、「ライト・セクター」及び「自警隊」等は合意内容に不満を示し、・・・野党党首に対し「恥を知れ」と連呼」し、このあと、『ウクライナ週報』には書かれていないが、大統領府へと、全国「独立広場」連盟以下の過激派が突入したからである。

「力による現状変更は認めない」という発言は、昨年を通じて、安倍総理や岸田外相がしばしば口にしていたことである。その念頭に置かれていたのは、ロシアであり、中国であったようだが、ウクライナ政変における力による現状変更の最初のものは、この2月21日から22日にかけて起きている。

その後に起きたロシアによるクリミアの併合、東ウクライナにおける武力紛争に関して、当事者であるロシアや武力紛争に関与しているウクライナ政府側・東ウクライナ武装勢力側について、その行動を免罪したり支持したりするつもりはないが、この2014年2月21日から2月22日にかけての「力による現状変更」という最初のボタンの掛け違いがなければ、ウクライナにおけるその後の一連の紛争は避けられた可能性が高い。その意味では、この2014年2月21日の合意の実施を妨げた人々の責任はきわめて重いと言わざるを得ない。

 
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2月12日ミンスクにおける停戦合意

昨日の読売新聞朝刊3面に掲載された私のコメントを載せます。

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